ひきこもりのシンママが元おたくと結婚してみたら

ひきこもりだったシンママが元おたくの夫を捕まえて結婚してからの日記ブログ。ネット仕事の話なども

怒るのは、相手に対する責任感と愛情から。

こんばんわ。こじっぺです。

ついさっき、子供のことを派手に怒ったのです。

怒鳴ったわけでも、物を投げつけたわけでも、人格をけなしたわけでもないんですけど、怒ったあとについつい

 

「これは虐待にひっかかったりしないよね…?」

 

と、内心怯える自分がいます。

そんな自分に説教をしてやりたい。

 

さて、怒ったついでに思い出したのですが、こじっぺはよくこんなことをきかれます。

 

こじっぺさんって、怒ったりするんですか?

 

「怒ります。」そりゃ人間ですもの。

いつも怒っているようにみられるよりかはいいことなんでしょうけれど、何をされても怒らないようにみえるらしいです。(このブログを読んでる人には信じられないでしょうが…笑)

でもまぁ、怒るときは面と向かって怒ります。人間ですし…。

自分や家族に危害を加えられたりしたときは、当然怒るし、そうじゃないときでも場合によっては怒ります。

ただ…。

 

「怒る=説教をする」という意味なら…。「相手によります」

疑問を投げかけてきた人の雰囲気から察すると、そういった「感情に任せて獣のように怒る」という怒るではなくて、説教をするという意味合いでの怒るのような気がしたんですよね。

「怒る=説教」

というイメージで「怒ることあるんですか?」って聞いてるような雰囲気があった。

で、「怒る=説教」というイメージ怒るのであれば、

「相手によります。」

という返事になっちゃうなと思ったんです。

 

説教するのって相当めんどくさい作業なんですもん。

育児中の人とか、職場で部下をもってて真剣に部下の育成に取り組んでる人は心からわかってくれると思うんですけど、説教って相当めんどくさいですよね?

説教って

・エネルギーがかかる

・時間がかかる

・どんなに頑張っても後味悪い

・消費したエネルギーと時間の割に、苦労が報われない可能性の方がバカみたいに高い

こういうものですから…。

使ったエネルギーと時間が無駄になったとしても、逆恨みをされるようなことになったとしても、どうしても説教をしなくちゃいけない。

そういう相手じゃないと、真剣に説教なんてしてやれないわけです。

(最終的に裏切られてもしょうがないなんてところは、学校の先生みたいなもんですな)

 

相手に対して、愛情か責任を感じるから説教する。

例えば、自分の管轄ではない部下とか。

例えば、よそ様の子供とか。

例えば、自分の親とか。

そういった相手には説教しないわけです。よっぽど危害を加えられない限りは。

何かを今ここで相手に伝えておかないと後々相手が困ることが目に見えているから、説教するわけで。

そうしようと思う根底には、愛情か責任(もしくはその両方)を相手に感じてないとしないわけです。

そんなクソめんどくさくて、説教する側にメリットのほぼない行為。

 

される側にしてみりゃウザいんでしょうけど、されなくなったら終わりだよ?

”自分に苦言を呈してくれる人間がいなくなったら、それは人として終わってる。”

なんて話をよく年寄りから聞かされてきましたが、自分で説教するようになって、説教のクソめんどくささが骨身にしみてわかるようになってから、それも実感するようになりました。

説教をしてくれる相手というのは、少なからず自分のことを思ってくれてる相手

なんだということを。(場合によっては例外もありますけどね)

イエスマンばかり周りに固めて、皇帝気取りになっている人もたま〜に見かけますが、見ていてとても痛痛しいです。

された当初は、腹も立つけれど、しっかり私をみて苦言を呈してくれる人ほど、きちんと大切にしていこうと、子供に説教をたれて後味悪い思いをしながら思ったのでした。